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2009年9月25日

『目黒の秋刀魚によせて~続・硫黄島からの手紙』(情報マガジン 2009年10月号より)

内容

September.6.2009

秋になり、秋刀魚が美味しい季節となりました。「目黒の秋刀魚」という落語があります。
目黒へ野駆けしたお殿様、家来が農家から調達した秋刀魚の塩焼きの味が忘れられない。
お客に呼ばれた先で秋刀魚を所望したところ、出てきたのは、美味くもなんともない代物。 
日本橋の魚河岸から取寄せたと聞き、思わず殿様「秋刀魚は目黒に限る」
目黒で生まれて、練馬で育った私は、秋刀魚は大好物。粗塩をかけて、炭火で焼いて、油がジュージューとしているところへ、大根おろしと醤油をかけて・・・あーたまらない。
子どもの頃、母親が七輪で秋刀魚を焼いてくれているとき、「あ~この秋刀魚を兄さんに食べせてあげたい・・・」とため息をつきながら必ず言ったのでした。
母の兄は(私から見れば伯父)秋刀魚が大好きで、身やはらわたはもちろん、頭も背骨も尻尾まで全てを食べていたそうです。
60余年前のこと、農家の次男だった伯父は、隣村へ婿に行き、片身の狭い思いをし、徴兵され、外地へ赴任し、どこかで戦死・・・。戦死公報のみで、遺骨すら帰ってこなかったそうです。でも、一度だけ戦地から不思議な手紙が来たそうで、「燐寸(マッチ)の軸の先で元気でいる・・・云々」という内容だったそうです。
この手紙を、受け取った母たちは「何のこっづら?(方言:何のことだろ)」と不思議がっていましたが、硫黄島が玉砕したと知ったとき、「もしかすると兄は、硫黄島で戦死したのかも。マッチの軸の先には硫黄が付いているもの・・・、きっと自分が硫黄島にいることを知らせようとしたのでは・・・」と話し合ったそうです。
母親が「あ~、この秋刀魚を兄さんに食べさせてあげたい・・・」と言った時、その目が潤んでいたのは、秋刀魚を焼く煙が目に沁みただけではなかったのでしょう。
私は、秋刀魚を食べる時は、硫黄島で戦死したかも知れない、会ったことのない伯父を偲び、世界の平和を心から祈りながら、頭も背骨も尻尾まで全てを食べるようにしています。それが伯父への供養と思い、心の中の小さな平和への祈りと思いながら、美味しく秋刀魚を頂いております。 
「う~ん、やっぱり、秋刀魚は平和に限る!」
 秋刀魚の塩焼きとかけて、素人芝居の中で見得を切る市川団十郎と解く 
その心は  脇に大根が付いてます。     (ドバシ/ボラセンジャーグリーン/September.6.2009)

◆ちよだボランティアセンター情報マガジン「ボランティア」
 Vol.299 2009年10月号(2009/9/25発行)より

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